自分では意識していなかったけど私は結構消しゴムを持っている。
言うならば「いつの間にか消しゴム」だ。
人は、いつもと違う場所に出掛けるとそこへ出掛けた証として、普段なら買わないようなものをつい買ってしまうものらしい。
そうそう、思い当たるわ。
旅に出たり、ちょっと遠出したりすると 記念に…とついつい財布の紐が緩みがち。
私の場合、そのような場面で買うのは決まって手拭いとポストカード。
手拭いはもう売るほどある(とは大袈裟だけどそう言ってしまいたい程持ってる気がする)
ポストカードも、手紙も書かないくせにお値段お手頃なのも手伝って結構な数集まった。
買うときには「これをあそこに飾っているのと入れ替えよう」と意気込んで買うのだけど入れ替えが実行されることはあまり無い。
結局、恭しく額に入れて飾られるポストカードはごく一部。
残りはタンスの肥やしならぬ引き出しの肥やしだ。
頭では十分理解している。
なのに手拭いとポストカードだけは相変わらずシード権を得て増え続けているのだった。
何かが欲しくなって買うのなら手拭いかポストカードならば良し。
この2つは私の中では、いくつあっても良いと言うことらしい。
さて消しゴムはと言うと、さすがにシード権を得ることは出来なかったようだけど
普段ならば必要に迫られないと絶対に買わないはずの消しゴムが場所が変わった途端にどうだろう。
これなら仕事でも使うし、場所も取らないし、腐るものでも無いし と言う心理からか思ってたよりもたくさん買っていた。
でも、消しゴムにはシード権は無いのでいざ撮ろうとすると案外ボリュームが無かったわ…(もう少ししっかり探すとまだまだ出てきそうなんだけど)
なので、普段使いの無印のとMONOにも花を添えて貰った。
今、改めて写真を見ながら これはあそこで買ったもの、これはあの時買ったもの…とその時の事を懐かしく思い出したりしている。
旅先で何かを買うということは写真とは違った思い出の残し方なのだなぁとつくづく思う。
そういう意味で買った消しゴムならば消してしまうのがもったいないとさえ思えてくる。
消しゴムの仕事は消すことなのに なんて事!
しかし
この先もシード権の予定は無いので
相変わらず、仕事で使うし、場所も取らないし、腐るものでも無いしと言う思いのもと 一年にひとつくらいの割合で増えていくのかもしれない。
一年にひとつくらいなら良いか。